人生の最新25%

まだ大学を卒業してもいないのに断言させていただく形なんですけど、大学、特に大学の(恐らく一般的に思われているであろう)主たる機能である”講義”で学んだことはほとんどない。大学にたいしていかに私欲のために利用すること且つサボることを考えてきただろうか。払う義務のある税金をいかに上手く運用し節税するかのように大学へ通っていたように思う。当然これは私見以外の何ものでもないですが、私見以外の意見を誰が述べることができようか。

ためになった講義といえば大学らしくない講義。ためにならない講義ほど聴講生や講師共々つまらなさそうな顔をしているし、実際につまらない。これでは国立大学にたいして国に予算を1%ぐらいしか割いてくれないのは当然であるという意見にうなずけるのも無理はない。当然このままの運営姿勢のままである必要はないので国立大学の人たちはがんばってくださいとか思う。とくにつまらなそうに講義しつつ単位ごっそり落としていく講師、南無れ。

まだ卒業することが確定していないのでアレですがという前置きをしておいて、思えば6年間も大学に在籍していたことになります。まぁその中で2年ほどフリーターや冒険、マレーシアで生活をしていたわけですが。これは人生の25%に相当します。どう考えてもこれから先の人生に影響を与えないはずがないしそのような感覚は自分にはないです。その25%を先ほど述べたような教育機関に在籍していてさぞ無駄な時間を過ごしたのであろうと言われた場合ぼくは否定できます。何故ならそれ以外の時間に学ぶことがたくさんあり、しかもそれらはソレなくしてはない機会であったからです。

「いや大学入らんでも同じことできるって」

と言われてしまったらたしかにそうなので何も言えないんですけど少なくともぼくの場合はソレなくしてコレはなかったという確信は捨てられないですね。ぼくのアレ的には”学ばないこと”も学んだという範囲も含むこととかあるので少し理解されがたいかもしれないですけど。あまり一般的な大学生らしいアルバイトをしたこともないし、異常な人間や人間関係を持ったりアウトかセーフでいえばアウトな面もたくさんありましたがバットを振った回数的には多い方なんじゃないかなぁ野球のことは知らないけど。多くても少なくても場合によると思うけどね。なにが?

やりたいこともやったしやりたくないこともやったし、なりたくないことにもなったしなりたいことにもなった。

大学に今は感謝していない。数人の教員、バイト先の社員、ネット経由の友達、フィリピンのへんなおじさん様方々には種類は違えどいろいろな想いで感謝しまくって頭でフローリングをピッカピカに光らせることができるほど。和室なので自宅では無理です。敷いてください。

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